以下では大林宣彦さんに関して、
- 大林宣彦さんの病名について
- 大林宣彦さんの遺作は?
- 大林宣彦さんの経歴は?
- 大林宣彦さんのプロフィール
を調査していきます。
また記事後半では大林宣彦監督の動画も載せていますので、ぜひチェックしてみてください。
大林宣彦さんの病名について

映画監督の大林宣彦氏が10日午後7時23分に肺がんのため死去したことが分かった。82歳だった。2016年8月にステージ4の肺がんで余命3か月の宣告を受けてからも意欲を失わず、昨年11月の第32回東京国際映画祭で「あと3000年、映画を作りたい」と語っていた。CMディレクターから映画の世界に入り、故郷の広島県尾道市を舞台にした「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の“尾道三部作”などで知られる。ファンタジー作品に定評があり「映像の魔術師」の異名を取った。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200411-04100252-sph-ent
大林宣彦監督は2016年8月にステージ4の肺がんと診断され、さらに余命3ヶ月との宣告も受けられていたようです。
しかし、その後も映画製作の意欲を失うことなく、映画に対して前と変わらず情熱を燃やしていらっしゃったようで、
今回の訃報は本当に残念で仕方ありません。
大林宣彦さんの遺作は?
数多くの映画づくりに携わってこられた大林宣彦さんですが、果たして遺作は何になるのでしょうか?
2020年4月10日(金)より公開予定されていた「海辺の映画館―キネマの玉手箱」が大林宣彦監督の遺作となられます。
またこの映画は、大林宣彦監督が【20年振りに「尾道」へ還ってきた】との触れ込みでとても楽しみな映画でしたので、
今回の訃報は本当に残念で仕方ありません。
またコロナ騒動を受けて公開延期が延期されてしまっており、今後のスケジュールに関しては現在未定になっています。
大林宣彦監督がご存命のときに映画が公開されていれば…なんてつい思ってしまいます。
大林宣彦さんの経歴は?

大林宣彦監督は2歳でブリキの映写機のおもちゃに親しむほどで、
6歳の頃にはすでに自作のアニメーションを作成されるほどの根っからの映像好きだったようです。
幼年期を尾道で過ごし1955年に上京し、翌1956年には成城大学文芸学部芸術コース映画科に入学されます。
大学時代は常に8ミリカメラを片手に持ち、ずっと映像を撮られていたようです。
その後どんどん頭角を表し、
1982年には自身の故郷尾道を舞台にした「転校生」の発表を皮切りに
「時をかける少女」「さびしんぼう」といわゆる「尾道三部作」で熱狂的な多くの支持を獲得することになります。
また、この尾道三部作のイメージが強い大林宣彦監督ですが、
新人アイドルや新人女優を主役にした映画作りを多数行っており「アイドル映画の第一人者」と称される側面もお持ちでした。
大林宣彦さんのプロフィール

- 名前:大林宣彦(おおばやし のぶひこ)
- 別名義:學草太郎(まなぶ そうたろう)
- 生年月日:1938年1月9日(享年82歳)
- 出生地:広島県尾道市東土堂町
- 血液型:B型
- ジャンル:映画監督
- 配偶者:大林恭子
広島県尾道市東土堂町生まれ。尾道市立土堂小学校、尾道北高校卒業、成城大学文芸学部中退。2006年(平成18年)4月から尚美学園大学大学院芸術情報学部情報表現学科名誉教授[7]。2007年(平成19年)4月から倉敷芸術科学大学芸術学部メディア映像学科客員教授。2014年(平成26年)4月から長岡造形大学客員教授。
妻は映画プロデューサーの大林恭子。長女の大林千茱萸(ちぐみ)は「映画感想家」と称して執筆活動をする一方で映画製作にも参加しており、その夫は漫画家の森泉岳土。劇作家・演出家の平田オリザは甥にあたる。
自主製作映画の先駆者として、CMディレクターとして、映画監督として、日本の映像史を最先端で切り拓いた”映像の魔術師”。
引用元:Wikipedia
世間の反応
以下、ヤフーニュースのコメントです。
- さびしんほう 良い映画でした。尾道もノスタルジックな良い街でした。また尾道行きたくなりました。天国でも素晴らしい映画作るんでしょうね。ご冥福をお祈り致します。素敵な映画有難うございました。
- “尾道三部作” 懐かしいです。尾道を映画で知ってから訪れてみたくなり、想像通りの瀬戸内の坂道の素晴らしい街並みでした。尾道ラーメンが美味しくて文学好きにも堪らない特別な場所。大林監督の作品とともに好きな場所を聖地巡礼できたことに感謝。昭和の古き良き時代の雰囲気が似合う、そんな映画が好きでした。
- 尾道をあまり知らなかったのですが、映画でとても素敵に見えて、一昨年やっと行って来ました。映画の通りに階段凄かったり(笑)素敵なところで、行って良かったです。映画の世界観がとても好きでした。なんか不思議というか、現実なんだけど現実でもないような空気感というか…うまく言えないけど…
- 個人的には「異人たちとの夏」は凄く印象深い映画でした。亡くなった両親との二度目の別れに成ったすき焼き屋のシーンは、今でも記憶に強く刻まれてます。ご冥福をお祈り致します。
- 初めて観た大林映画は「転校生」でした。中学生の時で、ちょっと恥ずかしくもありました。それからいろいろな映画で青春、夢を何度も再体験させていただきました。「廃市」「時をかける少女」「ふたり」「さびしんぼう」「あした」「なごり雪」「22才の別れ」特に「なごり雪」が一番胸に刺さっています。どうぞ安らかに、、、ありがとうございました。
まとめ

さて、ここまで大林宣彦さんに関する
- 大林宣彦さんの病名について
- 大林宣彦さんの遺作は?
- 大林宣彦さんの経歴は?
- 大林宣彦さんのプロフィール
について調べてきましたが、いかがでしたでしょうか?
大林宣彦監督の遺作となる「海辺の映画館―キネマの玉手箱」はとても楽しみな映画でしたので、今回の訃報は本当に残念で仕方ありません。
心より御冥福をお祈りいたします。