- 植木通彦の最高年俸・年収はいくら?
- 植木通彦の引退理由や怪我について
- 植木通彦のwikiプロフィール
また記事後半では植木通彦さんの動画も載せていますので、ぜひチェックしてみてくださいね。
植木通彦の最高年俸・年収はいくら?

植木通彦さんは福岡県出身の元ボートレーサーで、競艇界に輝かしい成績を残しています。競艇ファンなら知らない人はおらず、不屈の精神の持ち主でした。
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成績と比例して獲得賞金も高額で、競艇だけでなく公営競技全体を通してもトップクラスです。
1994年に初の年間賞金王になったあとは、1996年には公営競技初の2億円超えの賞金を獲得しています。
選手生活が軌道に乗ってからは、年収は安定して1億円を超えています。
ちなみに最高年間獲得額は、2002年の2億8418万4000円です。
一般人では考えられない金額ですが、植木通彦さんの活躍ぶりからすれば当然とも言えます。
植木通彦さんには不死鳥という異名がついていますが、それには所以があります。
デビュー3年目のレースで事故に巻き込まれ、全治5ヶ月の大怪我を負ってしまいます。
復帰戦は怪我をした競艇場を避ける選手が多いなか、植木通彦さんは復帰戦をケガをした桐生競艇場で行いました。
ケガに負けない強い気持ちは、まさに不屈の精神で不死鳥と呼ぶのにふさわしい人物です。
この負けん気の強さがレーサー根性につながって、数々の記録を残したと思います。
植木通彦さんの獲得した賞金は、強い精神力のおかげのように感じます。
植木通彦の引退理由や怪我についても調べてみた。
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桐生競艇場で負った大怪我は、全治5ヶ月という重傷でした。
まだデビュー3年目で焦りと恐怖があったと思いますが、桐生のファンやお世話になった人のために頑張り続けたようです。
恐怖に立ち向かっていく姿に勇敢さを感じますし、みんなのためにという気持ちに人間性の良さを感じます。
植木通彦さんは競技生活20年がたった、2007年に引退しています。
周囲が勘づくことはなく、ある意味突然の引退表明だったようです。
理由ははっきりしませんが、引退の一年ほど前のレースが関係している可能性があります。
そのレースは、平和島競艇場で行われた優勝戦でした。
圧倒的な支持を集めていた植木通彦さんですが、僅かなタイミングの違いでフライングしてしまいました。
結果的に売り上げの9割以上が返還されることになり、レースとしての魅力は失いました。
その後の1年間は賞金王決定戦競争を除いて、すべてのSGへの出場資格を失いました。引退を表明したのは、復帰してから間もないことでした。
植木通彦さんの本当の心境は分かりませんが、フライングと引退が関わりを持っているようにも見えます。
責任感の強い植木通彦さんだからこそ、大きな悩みを抱えていたのかもしれません。
植木通彦のwikiプロフィール

- 名前:植木通彦(うえきみちひこ)
- 出身地:福岡県
- 生年月日:1968年4月26日(_歳)
- 身長:165cm
- 体重:51kg(現役時)
- 血液型:O型
福岡県立小倉商業高等学校2年時に中退。当時は野球部に所属。(ボートレーサー引退後に福岡県立博多青松高等学校に編入学して卒業。
その後全国モーターボート競走会連合会本栖研修所(後のやまと学校、現・ボートレーサー養成所)に入所。
引用元:Wikipedia
植木通彦さんのレジェンドレーサー時代の実績をまとめた動画を発見しました。面白いのでぜひご覧ください。
まとめ

さて、ここまで植木通彦さんに関する
- 植木通彦の最高年俸・年収はいくら?
- 植木通彦の引退理由や怪我について
- 植木通彦のwikiプロフィール
について調べてきましたが、いかがでしたでしょうか?
植木通彦さんのレジェンドレーサー時代の実績をまとめた動画をは面白いのでぜひご覧ください。